top of page
1666025396347_edited_edited_edited.jpg

『​ 大和春信松緑窯 』
成り立ち

明治維新を契機に当時、萩藩御用窯(東光寺窯・職長)であった大和作太郎『雅名・大和松緑』は明治二十三年(一八九〇年)萩より招致され、良質の陶土を発見したことから明治二十五年、吉城郡宮野村(現・山口市宮野上)に四連房式登り窯を構える『大和松緑窯』を開窯した。

さらにその子供の一人『大和春信』は作太郎が築窯した登り窯を敷地に置き、西側斜面を利用しさらに一回り大きい四連房式登り窯を増窯。

沢山の藪椿が自生する山の斜面に築窯したことから『林椿庵・大和春信松緑窯』と窯名した。

その後、百数十年に渡る登り窯は代々で継承され、『山口萩焼・大和春信松緑窯元』として現在に至っている。

ショップ

おすすめ商品

bottom of page